ご あ い さ つ 遍路の歩き方 ↓ ここが入口 お遍路の情報はくしまさまの 掬水へんろ館 にリンクさせて頂きました。(感謝)
第64番札所 前神寺 役小角(えんのおづぬ)が石鎚山で修行を積んだのち、蔵王権現となって現れた阿弥陀如来と薬師如来を彫って祀ったことに始まった。
第63番札所 吉祥寺 弘法大師がとおりかかると光り輝く檜を見つけたので、即座にその檜で毘沙門天を刻んで本尊にして創建した。
第62番札所 宝寿寺 聖武天皇の勅願により伊予国一宮の法楽所(経を上げるところ)として建てられた。 弘法大師が石鎚山に向かう途中、光明皇后を模して十一面観世音菩薩を刻み、本尊としたことから霊場になった。
第61番札所 香園寺 香園寺(こうおんじ)は、用明天皇の病気平癒を祈願して聖徳太子が建立した。 この時、太子の前に現れた翁が大日如来を安置したと伝わる。
第60番札所 横峰寺 役小角(えんのおづぬ)が星ヶ森で修行をしていると、石鎚山頂に蔵王権現が現れた。 その姿を石楠花の木に刻んで小堂に安置したのがはじまりという。
第59番札所 国分寺 聖武天皇の勅願により全国に建立された国分寺の一つで、741年に建てられた。
第58番札所 仙遊寺 天智天皇の勅願で国守の越智守興(おちもりおき)が建立した。
第57番札所 栄福寺 この付近の瀬戸内海で海難事故が多いと聞きおよんだ弘法大師は、府頭山で風波海難の平穏を祈願して護摩供養を行った。
第56番札所 泰山寺 かつて、梅雨の時期になると毎年のように氾濫していた蒼社川に村人は苦しんでいた。 弘法大師はこれに堤防を築き、その満願の日に本尊を刻んで寺を建立した。
第55番札所 南光坊 瀬戸内海の大三島にある大山祇神社の別宮として建立され、八十八ヶ所の中で唯一「坊」の名前が付くお寺だ。
第54番札所 延命寺 この寺はもともと53番札所円明寺と同じ名前だったのだが、明治のはじめに今の延命寺に変更された。
第53番札所 円明寺 聖武天皇の勅願所として行基が阿弥陀如来を刻み、和気の海岸に堂を建てて安置したのが始まりだ。
第52番札所 太山寺 ここの伽藍はなかなか立派なもので、かつては7堂伽藍と66坊が整い、大いに栄えたという。
第51番札所 石手寺 聖武天皇の勅命により国司越智玉純が伽藍を建立したこの寺、道後温泉に近いせいか一年を通して参拝客で賑わう。
第50番札所 繁多寺 山の麓に建つこのお寺は、地元の人から「畑寺」とよばれている。
第49番札所 浄土寺 浄土寺というのになぜか本尊が阿弥陀如来ではなく釈迦如来。 8世紀の半ばに孝謙天皇の勅願により建てられたこの寺、踊念仏の開祖空也上人との繋がりが深いようだ。
第48番札所 西林寺 この寺、川の土手より低いところにあることから、罪深い人が境内に入ると無限地獄に堕ちるとされ、伊予の関所寺といわれた。
第47番札所 八坂寺 文武天皇の勅願によって伊予国司である越智玉興(おちたまおき)が建立したとあります。
第46番札所 浄瑠璃寺 行基が四国を巡行された時、この地に立ち寄って、伽藍を建立して本尊の薬師如来と日光・月光両菩薩、さらに十二神将を刻んで安置した。
第45番札所 岩屋寺 岩壁の下のわずかな敷地に本堂、大師堂、仁王門が建っている。
第44番札所 大宝寺 文武天皇の勅願で大宝元年に創建され、その名が付いたそうだ。
第43番札所 明石寺 昔、若く美しい女神が願を掛けて深夜に大石を運んでいた。 いつの間にか夜が明けてしまい、日が昇るのを見て女神は姿を消してしまう。 この女神が千手観音菩薩と言われている。
第42番札所 佛木寺 この地を巡錫していた弘法大師は、牛をひいていた老翁に出会い、すすめられるままに、この牛に乗りました。 すると近くの楠の杖に一つの宝珠がかかっているのを発見します。
第41番札所 龍光寺 弘法大師がこの地へ来ると、白髪の老翁に導かれました。 そこで大師はこの地が霊場であることを悟り、その尊像を刻み、堂宇を建てて安置したのです。
第40番札所 観自在寺 山号の通り平城天皇の勅願によって弘法大師が開基した。
第39番札所 延光寺 大きな赤海亀が竜宮からの奉納といわれる梵鐘を背負って寺の近くヘ泳ぎついたのでそれを山号とした、修行の道場「土佐の国」最後の札所。
第38番札所 金剛福寺 嵯峨天皇(9世紀)より「補陀洛東門」の勅願を受け、弘法大師が三面千手観世音菩薩を刻み、堂宇を建立して月輪山・金剛福寺とした。
第37番札所 岩本寺 ここはめずらしい5体の本尊を安置するお寺。 聖武天皇の勅願により行基が建立、後に弘法大師が5社5ヶ寺を建立した。
第36番札所 青龍寺 昔は土佐七大寺の一つに数えられるほどの大寺院だった。 170段の石段を登ると本堂、大師堂、薬師堂が一列に並んでいる。