第27番札所 神峯寺
第27番札所 神峯寺
土佐の関所ともいわれるこの寺、真っ縦といわれる急な坂を登る。
仁王門を入ると本堂までさらに150段もの石段が待っているが、石段の脇に広がる日本庭園の緑がその疲れを癒してくれる。
この寺は神功皇后が戦勝を祈願して天照大神を祀り、後に行基が本尊を刻んで安置して神仏合祭としました。
弘法大師は天皇の勅命を受けて諸堂を整えたと云われています。
ここで神功皇后が何故この地に・・という疑問が出てきます。
伽耶国の皇子(ツヌガアラヒトまたの名をアメノヒボコ)の血を母方に持つ神功皇后が角鹿(ツヌガ今の敦賀)から出雲を経て北九州に赴き、新羅征討で勝利しました。
そこで住吉大神(武内宿禰)との子(応神天皇)を生みます。(住吉大神との秘事)
しかしそれを面白く思わない仲哀天皇の腹違いの子供達が武装蜂起したので、神功皇后は抵抗勢力を一掃するために東へ向かいました。
これが神武天皇東征のモデルとも云われているから、瀬戸内海を東へと進んだはずなのに、こんな所に神功皇后の名前が出てくるなんて・・・
ちなみに神峰神社は仁王門横の鳥居から500mくらい登ったところにあります。
(ちくりんざん こうのみねじ)
本尊 十一面観世音菩薩