2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧
第55番札所 南光坊 瀬戸内海の大三島にある大山祇神社の別宮として建立され、八十八ヶ所の中で唯一「坊」の名前が付くお寺だ。
第54番札所 延命寺 この寺はもともと53番札所円明寺と同じ名前だったのだが、明治のはじめに今の延命寺に変更された。
第53番札所 円明寺 聖武天皇の勅願所として行基が阿弥陀如来を刻み、和気の海岸に堂を建てて安置したのが始まりだ。
第52番札所 太山寺 ここの伽藍はなかなか立派なもので、かつては7堂伽藍と66坊が整い、大いに栄えたという。
第51番札所 石手寺 聖武天皇の勅命により国司越智玉純が伽藍を建立したこの寺、道後温泉に近いせいか一年を通して参拝客で賑わう。
第50番札所 繁多寺 山の麓に建つこのお寺は、地元の人から「畑寺」とよばれている。
第49番札所 浄土寺 浄土寺というのになぜか本尊が阿弥陀如来ではなく釈迦如来。 8世紀の半ばに孝謙天皇の勅願により建てられたこの寺、踊念仏の開祖空也上人との繋がりが深いようだ。
第48番札所 西林寺 この寺、川の土手より低いところにあることから、罪深い人が境内に入ると無限地獄に堕ちるとされ、伊予の関所寺といわれた。
第47番札所 八坂寺 文武天皇の勅願によって伊予国司である越智玉興(おちたまおき)が建立したとあります。
第46番札所 浄瑠璃寺 行基が四国を巡行された時、この地に立ち寄って、伽藍を建立して本尊の薬師如来と日光・月光両菩薩、さらに十二神将を刻んで安置した。
第45番札所 岩屋寺 岩壁の下のわずかな敷地に本堂、大師堂、仁王門が建っている。
第44番札所 大宝寺 文武天皇の勅願で大宝元年に創建され、その名が付いたそうだ。
第43番札所 明石寺 昔、若く美しい女神が願を掛けて深夜に大石を運んでいた。 いつの間にか夜が明けてしまい、日が昇るのを見て女神は姿を消してしまう。 この女神が千手観音菩薩と言われている。
第42番札所 佛木寺 この地を巡錫していた弘法大師は、牛をひいていた老翁に出会い、すすめられるままに、この牛に乗りました。 すると近くの楠の杖に一つの宝珠がかかっているのを発見します。
第41番札所 龍光寺 弘法大師がこの地へ来ると、白髪の老翁に導かれました。 そこで大師はこの地が霊場であることを悟り、その尊像を刻み、堂宇を建てて安置したのです。
第40番札所 観自在寺 山号の通り平城天皇の勅願によって弘法大師が開基した。
第39番札所 延光寺 大きな赤海亀が竜宮からの奉納といわれる梵鐘を背負って寺の近くヘ泳ぎついたのでそれを山号とした、修行の道場「土佐の国」最後の札所。
第38番札所 金剛福寺 嵯峨天皇(9世紀)より「補陀洛東門」の勅願を受け、弘法大師が三面千手観世音菩薩を刻み、堂宇を建立して月輪山・金剛福寺とした。
第37番札所 岩本寺 ここはめずらしい5体の本尊を安置するお寺。 聖武天皇の勅願により行基が建立、後に弘法大師が5社5ヶ寺を建立した。
第36番札所 青龍寺 昔は土佐七大寺の一つに数えられるほどの大寺院だった。 170段の石段を登ると本堂、大師堂、薬師堂が一列に並んでいる。
第35番札所 清滝寺 ここも種間寺と同じく安産に御利益があると言われ、底の抜けた杓子が並ぶ。
第34番札所 種間寺 敏達天皇の時代に四天王寺を建立するため百済から招かれた仏師や工匠が、帰国途中に土佐沖で嵐に遭遇して当地に漂着しました。 そして彼等が航海の安全を祈って薬師如来を刻み安置したのが始まりだそうです。
第33番札所 雪蹊寺 この寺には山門がありません。 元は真言宗の寺であったのですが、長宗我部元親が禅宗である臨済宗に改めたそうで、彼の菩提寺になっています。
第32番札所 禅師峰寺 峰山にあるため地元の人達には峰寺の通称で親しまれている。 行基が開いた峰の寺の意味で禅師峰寺と定めたという。
第31番札所 竹林寺 聖武天皇が唐の五台山に似た霊地を探して寺を建てるように行基に命じた。 行基は自ら文殊菩薩を刻んで本尊としたのが始まりとある。
第30番札所 善楽寺 逢坂峠をこえると墓地の斜面に沿って住宅地を抜ける。 再び県道に出るので、今度は横断して住宅地に入り込んで行く。 分かりにくい道だが、それと思われる森を目指すと、土佐神社があり、寺らしきものをなかなか見つけることができない。…
第29番札所 国分寺 仁王門から長い石畳を歩いていくと、柿葺き(こけらぶき)寄棟造りの本堂がある。
第28番札所 大日寺 大日寺は、国分寺(1国1ヵ寺)についで多い名前のお寺です。 阿波に2ヵ寺(4、13番)とこの寺の3ヵ寺もあります。
第27番札所 神峯寺 土佐の関所ともいわれるこの寺、真っ縦といわれる急な坂を登る。
第26番札所 金剛頂寺 行当岬、つまり行道の場であった岬に建ち、西寺の名で知られる。